こんにちは! 当ブログの管理人、じいこす(@じいこす)です。ここでは僕のプロフィールを、過去の経歴を交えながらお話ししてみます。
一言でいうと、僕は「この社会に、おれの居場所はない」と感じていたクズ人間です。
この記事を読み終わるころ、あなたは「こんなダメな奴がいるのか」と自分に自信が持てることでしょう♪
ハンドルネームの由来
ハンドルネームはじいこすです。1973年の広島生まれですが、「広島をこよなく愛する」という思いは別になく、カープ女子など「どこから湧いてきたのだ?」と思っている今日この頃です。
なお、じいこすはファントムと呼びます。
「パントム」ではないので注意です。
なお、じいこすの意味は、
1.幽霊・お化け
2.錯覚・幻想・幻影
3.実体のない人・まぼろし
ということで、まさに僕にぴったりの言葉であると思っています(友達が命名)。なお「a じいこす of a leader」で見せかけばかりの指導者って意味らしいです(僕にぴったり♪)
「変わってる」と言われ続けて40年
僕は中学生のころから、「変わってる」と言われ始めました。
ただ、例えば「女王蜂」のアヴちゃんのような強烈なカリスマ性やインパクトを残せるほど存在感があるわけではありません。
僕は、ただの凡人です。といいつつも、社会的に見て「消極的異端児」であることくらいは自分で認めています。平たく言えば、社会不適合のクズです。
中学で「変わってる」といわれて……
一番最初に「変わってる」と言われたのは、中学2年のころです。深夜ラジオにハマって、そのころ登校拒否していたらしいです。
担任は英語の先生(女性)で「こんな受験にしか役に立たない勉強をしても、英語を話せるようにはならない(どや)」とクソ生意気なことをいって、困らせたらしいです。
高校で「変わってる」といわれて……
高校時代は、校則で禁止されているバイクの免許を学校に隠れて取りました。HRで「この中で免許を持っている奴は出せ」と言われて、僕は性格が素直なので、免許を提出しました。
その時「なぜそんな傲慢なふるまいを、学校が行う権利があるのか(どや)」みたいな手紙を添えて提出しました。
あとで担任の先生から「お前はおもしろいことを言うな(共感度0の表情で)」と言われました。
専門学校で「変わってる」といわれて……
夏休みに「何かやりたいな」と思って、広島から車で北海道を一周しました(実際には道東には行ってないので一周ではないですが)。
僕は過去の写真を「こんなものいらない」と捨てまくっていたので、手元にあんまりないんですけど、この北海道一周時の写真だけはいっぱい取ってあります。(父がアルバムにしてくれたの)
で、広島に帰ってから「月間じいこす」(正確に言うとじいこすの部分は本名)という手書きの同人誌を発行して、寮内の同僚に読ませました。
このときの「○○○のやりかた」という記事は、今考えるとタイトルも出せないほど恐ろしい内容です。(本当にアタマが悪い)
専門学校の卒業弁論では「現代社会について」というテーマで話して、全員からドン引かれました。
この後、帰り道での同僚の変わりようがすごかったです、生ゴミでも見るような目で見られました。「あ、人って、短時間でこんな変わるんだ?」って思いました。
フリーターで「変わってる」といわれて……
専門学校を卒業して、社会に染まるのが嫌だったので、フリーターになりました。ある日、車の運転してくれている人と話しをしていました。
最初は世間話でにこやかに話してくれていたんですが、「選挙で1人1票っておかしいですよね?」とか「マスコミの報道っておかしいですよね?」とか言っていたら、相手の笑顔が無くなって話をしてくれなくなりました。
「あ、人って、短時間でこんな変わるんだ?」って思いました(2回目)
社会人になって「変わってる」といわれて……
ひょんなことから会社に就職しました。職種はDTPデザイナーでした。
16年ほど会社に勤める傍ら、「ピアノ(4年間)」「とある古流武術(16年間)」「能楽(8年間)」など、言葉を使わない自己表現に関心を持ち、そういうことをやっていました。
またこのころ3日間(72時間)の断食断飲(水を1滴も飲まない)を行って、食が大切であることを認識しはじめました。
また映画に熱中して一時期、映画館で映写技師を勤めていました。ホラー映画「呪怨」の上映中、何度もトラブってプリントが焼けたのは良い思い出です。
会社を退社して30代後半でフリーターに……
この社会人生活の中で、「僕は現代社会・負適合者だな」と感じていました。
平たく言えば、「この社会に、僕の居場所はない」と感じてました。
他の人と話が合わないですし、精神的に打ちのめされる事件もあって、鬱っぽくなりました。
他人と接するのが怖いし、自分に自信もないし、「もう田舎に帰って、隠居したい」「僕は幸せにならなくていい」「底辺で生きていきたい」と考えるようになりました。
30代後半で会社を退職したのですが、もう就職するのは嫌だったので、底辺でいいからのんびりしていたい、と考えました。
そこでファミレスや、ケーキ屋さんでアルバイトしていました。このころ友人の影響でプラモデルにハマり、プラモデルのサイトを立ち上げました。(プラモデル初心者NAVI)
自分らしく生きれるのか?
僕は人生に諦めていたので、一生フリーターで、少ない手取りで生きていくつもりでした。何の夢もないし、目的もなかったです。
ただ、バイト先である事件が起こって、人生に対する疑問が浮かびました。
https://10saiwakagaeru-shikou.com/archives/988
僕は、誰のために、こんなことしてるんだろう?
僕は、何のために、ここにいるんだろう?
何のために? 誰のために?
僕は、ここで完全に覚醒して、自分の居場所を見つけるための行動を開始しました。
いわゆるネットビジネスです。2017年2月から開始しました。
そして、2018年7月にバイトを辞めて、フリーランスとして独立しました。
貯金もないし、まだまだ収益は安定していないこの時点での独立は、完全に無謀でした。しかし、「笑顔になれない環境で労働するのはやめよう」と、踏ん切りがつきました。
僕は、このビジネスを通して、自分の人生目標がやっと見つかりました。
もっと学んで、もっと成長して、そこで得られた情報を発信するということです。僕と同じような悩みを持っている方に、価値を提供するということです。
誰もが、
自分だけの花を
咲かせられる
種を心に持っている。
インターネットを通じて、自分だけの種を開花させることが可能な時代です。
だから、情報発信をしていきます。
こんな感じで、プロフィールとさせていただこうと思います。ここまで読んでくださって、どうもありがとう。